注釈
※こちらはADHDやASD当事者の「わたし」が、対人関係であるあるのエピソードを紹介するシリーズ記事です。「○○のディスコミュニケーションその△」というタイトルのものはシリーズだと認識してください。
ちなみにこれは第1弾です。
本編は下線から
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「芸能人の○○に似てるよね」
それが女優でも、芸人でも、政治家でも、動物でも、「わたし」は言ってしまっていた。
実際にあった、「わたし(ブログ主)」の高校生の時のエピソードである。
"それ"は急に降ってくるのだ。
授業中に隣の席にいた子の顔。
その時はぼんやりと授業を聞いていたけど、同じく横でぼんやりと黒板を見つめていた彼女の顔が、急にとても誰かに似てる……と思えてきた。
「わたし」は思考を巡らせる。
朝ドラに出てた女優?違う。
最近流行りの女芸人?これも違う。
……そうだ、思い出した!
「ねえ、○○ちゃんって女優の△に横顔似てるよね!」
「わたし」は真横のクラスメイトに話かけた。
何気なく言った言葉、だった。もちろん女優なのでどちらかというと褒め言葉のつもりでもあった。
しかしクラスメイトの彼女の反応は違った。
「は?なにいってるの?」
疑心暗鬼という様子が正しいだろうか。
彼女は授業中にばれないようにスマホを取りだして芸能人の画像を調べ始めた。
「この女優に似てるとかマジ?」
「ねーねー、ウチって本当にこの芸能人に似てる?」
休み時間になった途端、彼女は立ち上がりクラスの色んな人に聞いて回った。
どうやら「わたし」の美的感覚がズレていたようで、あちこちから全然似てないと言う声が聞こえる。
やがて彼女は席に戻ってきた。
「ほらね、やっぱり似てなかったじゃん」
彼女の顔を、ゴメンと言いながらちらりと窺う。
その顔は……ものすごく不貞腐れていた。
その場の空気を読むのは苦手だが、相手の顔で何を考えているか窺うくせはあったので概ね推測はできた。
「わたし」はとても申し訳ないことをしたのだと思った。
エピソードの話はここまで。
今思うと、問題点はふたつあると見ている。
①授業中に急に「芸能人に似てるよね」という話題を切り出してしまったこと
②誰かに「似ている」など容姿に対する話題がそもそもセンシティブな話題であること
思ったより、気にする話題なのだなと高校生の時の「わたし」はこの体験から理解した。
しかし問題はここからだ。
理解しても「誰かに似てますね」と言いたい衝動を抑えることが難しかった。
高校を卒業したあとも人には会う。
「芸能人の○○に似てますね」と言いそうになって、初対面の相手なのに口を手で抑えたことがある。
過去のように、初対面の人を不快にさせたくなかったからだ。言えないことのストレスから御手洗に駆け込んだこともある。
「この人の顔、見たことあるなあ」と思うとすごく正解したくて気になる。
それどころか、会話の脈略も全部ぶった切って、「あなたの顔、芸能人に似てますね!」と言いたくてたまらなくなるのだ!
たぶんあんまり理解されない欲求だと思うが、なんとか改善した。
物理的に抑えるだけではなく、
高校生の頃の過去を頭で再起し、ぐっと歯を食いしばる思いでこらえた。
ADHDは決して愚かな存在ではない……と思っている。
少なくとも、自分の間違いに気づけたら努力する知性と向上心はあるはずだ。(だって生まれつき、努力せざるを得ないのだから。人間関係で苦労するのは発達障害者には割とあるあるだ。)
そんなこんなで、発達障害女、きょうもがんばって生きています。
エピソードを話したかっただけなのでおわり。
追記
※そもそも、このエピソードは高校生の時なので、ぶっちゃけADHDのエピソードかどうかは断言するのは良くないかもしれない。
という感情がここまで書いて頭をよぎった。
単純に、子供から大人に向かってこころが発達して、「わたし」が社交性を身につけた結果「誰かに似ているというテーマで個人を語るのは良くない」と気づいた可能性だってある。
ただ、「似てる」と言いたいという気持ちが突然爆発するところと周りの目を気にせず突然伝える側面はADHDっぽいかもしれないから、発達障害あるあるとしてこのエピソードを共有したことはお許しいただきたい。